こんばんは、べるくです。飯田線の記事書いてましたが、ちょっとだけこの件について一言。
■集団自決で検定意見撤回求め県民大会 11万人参加(07.9.29 毎日新聞)
太平洋戦争末期の沖縄戦で起きた住民の集団自決を巡る文部科学省の教科書検定意見の撤回を求める沖縄県民大会が29日、宜野湾市の宜野湾海浜公園であり、約11万人(主催者発表)が参加した。
超党派の大会としては、約8万5000人が参加した95年の少女暴行事件に抗議する大会を大幅に上回り、歴史認識を巡る沖縄と政府の対立軸が改めて鮮明になった。大会は旧日本軍の命令、強制、誘導などの表現が削除された教科書検定を厳しく批判。検定意見の撤回と集団自決を巡る強制性の記述回復を求める決議を採択した。(以下省略)
う~ん。
確かに、我々本土の人間にとっては、沖縄の人に足を向けて寝ることができないのは事実だと思います。
ある種の「とかげの尻尾きり」的な感はあります。
しかしながら、今回のデモはどうしてもプロ市民・サヨクの扇動行動のように思えて仕方ない部分が少しあったり…。
たぶん発端となったのは、去年問題になったのこちらの件もあると思いますが。
→ついに公表、「渡嘉敷島集団自殺の軍命令は創作」(06.9.2の記事)
少なくとも渡嘉敷島の軍命令はなかった、ということは認めてもいいのではと思いますが、上記リンク先でも書きましたとおり、軍命令であろうがなかろうが、集団自決という事実があったことこそが悲惨なことであるわけで。
要は、「軍命令もあったかもしれないし、自発的なものもあったかもしれない」というのが事実なのかと思いますが、いかがでしょう。
(これがいわゆる玉虫色とか言われるんですけどw)
ただ、前にも申しました通り、全てが軍の責任というのも無理があると言います。
いくらお上の決めたことに従うのが国民性とはいえ、当時の国民も(メディアに煽られつつ)熱狂によって開戦を導いたというのはあるはずです。
かのパール判事も、こうおっしゃったそうです。
「みなさんは、次の事実を隠すことはできない。それはかつてみなさんが、戦争という手段を取ったという事実である。」
確かにアメリカに石油禁輸制裁などに触発されたりと、ある種アメリカも悪い。
日本も、軍部が統帥権を通行手形代わりにして暴走した感もなくはない。
でも、特定の「誰か」のせいにしても、戦争があった「事実」は変わらないのではないでしょうか。
そんなことを言えば、人間など全ての存在が罪深いものですよ。(もはや哲学へ)
そう、「事実(過去)」は変わらないんです。
だったら、私が前に同級生の結婚の話でしたように、「未来」を変えることならできるはず。
「事実(過去)」を踏まえて「未来」を見据える。
なんか責任転嫁ばかりで、簡単なようで難しい、でもそんな大事なことがないがしろにされてる気もしますね。
あ、毎度おなじみですが一言言っておきますと、私自身は中道右派ですw